老・四弦奏者のブログ

アラ古希のローテクMusicianのブログです

詞が先か,メロディが先か?歌詞の役割と重要性

これは私たち多重録音ユニットMadKnight & his staffsの私の相方「りんご」が作った歌詞で、たぶん1979年末か1980年初め頃の作品でした。
私は、この詩をMadKnight & his staffsの作品の中で一番気に入っています。
 
グラスの中は ソーダ割り、
片手に持って 口含めば
剥がれそうな 壁のポスター
ビキニの娘(コ)が 笑っているよ
 
ひとりぼっちで 片目閉じて
明日のこと 占えば
ゆるやかな 愛の終わりに
氷だけが 溶けてゆくよ
 
恋人たちの想い出は
恋人たちの作り話
愛は… 気が付けば 夢の中
 
二杯目の ソーダ割り
片手に持って 口づければ
ゆるやかな 愛の終わりに
氷だけが 溶けてゆくよ
 
ついでだから、実際の楽曲動画をYouTubeに貼り付けたのでご視聴ください、お願いします。
※なお、このYouTube楽曲動画は6月25日投稿のブログネタの使い回しです。
この作品は、たしかメロディが先だったと記憶していますが、作詞もほぼ同時進行でした。
私がドゥーワップをやりたかったので、黒人ヴォーカルバンドの真似をして、低音でヴァッパドゥー・ドゥドゥドゥー・ドゥドゥドゥー・ドゥドゥドゥー・ヴァッパドゥー と入れるとその合間に、ワワワ・ワワワ・ワワワ、ワルールーヤー と、裏声で高音部の間の手を入れるというバックコーラスを重ね、C-Am-Dm-G7 の循環コードを刻み、単純な繰り返しメロディーに乗せて歌うのです。
私が、そのバックコーラスの低音部を歌いながら、ギターで循環コードを弾いているうちに、相棒の「りんご」は、最初の一節を詩にして書いて見せてくれました。
それは、今までの「りんご」の作った「女々しい詩」とはイメージが違って、都会的なのに抒情詩のようなフレーズで、すごく新鮮に感じました。
そのままイメージをふくらましながら、続きを作ってもらい、実際に歌う時の韻踏みや言葉の整理などを少し施した後、すぐに録音したのです。
※ちなみに、歌詞の中のソーダ割りとは、ウイスキーハイボールのことで、1980年ころはソーダ割りと呼ぶのが今風でお洒落な言い方だったのです。
そして、壁のポスターのビキニの娘とは、たしか若いころの浅茅陽子さんでした。
それに、そのポスターは、実際はビキニの上を外したポロリ状態の写真でしたっけ・・・。
まさに、安物のアコギ1本と、不安定な音程の(つまりヘタクソ)メインヴォーカルとバックコーラスだけのつまんない作品でしたが、当時単音しか出せない上、二度は同じ音が出せないという超ローテクな初期のシンセサイザーを「りんご」から借りて、歌のバックにオブリガードを重ね録りして最終作品としました。
しかし、詞はすごく気に入っているのに、残念ながら曲としては軽すぎるし、ヘタすぎるし、イマイチ面白くなかったのです。
そこで、この原曲をデジタル化し、2010年にHDDマルチトラックレコーダーで、低音バックコーラスとベースギターを新たに追加して重ねることにしました。
ベースはもちろんYAMAHA BB-Xです。
この30年の時を経た追加音源によって、この「恋人たちの作り話」は少しサマになったと確信しています。それこそが、多重録音の魔法なのです。
この作品の、YouTube視聴回数がまだ48回なんて少な過ぎる!そう思って、「歌詞」のサイドからこの作品をあらためてご披露したかったのです。
詞がなくても良い曲はいっぱいありますが、良い詩の歌曲はそれだけで人を涙させる力を持っています。
私が、青春時代のころ、メジャーだったいろいろなギターバンドで、インストルメンタルバンドよりボーカル系バンドの方が圧倒的に好きでした。
そして、彼らの演奏はその後の私の音楽に多大な影響を受けました。
もちろん、その筆頭はThe Beatlesでした。
老・四弦奏者の音楽は、歌と演奏が必要不可欠です。
そして、その歌詞のもとになる詩が、老・四弦奏者のもっとも苦手な分野です。