老・四弦奏者のブログ

アラ古希のローテクMusicianのブログです

楽器デビューの恩人

今朝も、とても寒い朝でした。
いつもの早朝ウォーキングする自然公園の中の池が全面凍結していました。
池のほとりに設置されている温度計はマイナス5度をさしていました。
さ、さ、寒い~!
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さて、本題です。
老・四弦奏者の老は、還暦過ぎたからだけど、四弦奏者を名乗るきっかけは
8歳の時でした。(当たり前だけど、8歳から四弦奏者は名乗ってないですよ!)
写真は、たぶん5歳ころの私です。
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後で私を抱え込んでいるイケメンは、14歳年上の父方の従兄弟です。
彼はAさんといって、この当時は某有名大学の学生で、この写真撮影当時かそれより少し後かは不明ですが、ハワイアンバンドのポス宮崎とコニーアイランダースの設立当時のメンバーでした。
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前列真ん中はリーダーのポス宮崎さんです。53歳で亡くなったそうです。
後列右端が従兄弟のAさんです。
写真は、昭和30年代前半の設立当時の初期メンバーだそうです。
このAさんが、8歳になったばかりの私に、ウクレレをプレゼントしてくれたのです。
だいぶ後になってから、それがFamous製で、当時2000円だったと知りました。
Aさんはウクレレ教則本も一緒にくれたので、その中でかろうじて知っている曲の「荒城の月」を練習しました。
このウクレレで、私は8歳にして学芸会でのライヴ演奏デビューをしたのです。
持ち歌は、もちろん演奏可能な、たった1曲の「荒城の月」でした。
しかし、数名の女の子の「カッコいい」的視線と反応を感じて、俺が目指すのはこれだ!と思ってしまったのです。
この勘違いのパワーは絶大で、その後の歌謡曲全盛時代を経て、14歳の時にラジオでBeatlesを聴いて以来、4弦は6弦に持ち替えられ、さらに切磋琢磨して演奏の腕は鍛えられていきました。
たしかに、Beatlesを教材として猛練習したおかげもあって、私は、学生仲間ではいっちょ前のギタリスト、ミュージシャン気取りが通用するまでになりました。
でも、Beatlesは、オリジナル楽曲を作って自ら演奏し歌う、という画期的なスタイルのモデルではありましたが、そもそも楽器演奏の最初にその楽器をくれた従兄弟のAさんこそが、老・四弦奏者の最初の恩人だと思うのです。
私が、Aさんの出身校と同じの某有名大学を卒業したのも偶然ではない運命を感じます。
Aさんは、ハワイアンバンドを脱退した後は、ソロでNHKテレビに出て弾き語りなんかもやったそうですが、芸能界を引退したあとの消息は不明です。
もし、どこかでご健在ならば一度だけでもお会いして、ウクレレをいただいたときのお礼をもう一度したいと思っています。
ちなみにこのウクレレは、もらってから25年後に、当時3歳だった私の息子に踏みつぶされてその生涯を閉じてしまいました。え~ん、え~ん、
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