老・四弦奏者のブログ

アラ古希のローテクMusicianのブログです

電気機械知識をくれた恩人

小学校、中学校が同じで、就職して離れ離れになるまで友人付き合いだったKくんも、私の人生の「あるきっかけ」をくれた恩人だと思っています。
 
小学校5年生の時、親父から完成品のゲルマニュウムラジオを買ってもらいました。
うれしくて、夜はいつもイヤフォンを耳に入れて布団に入りました。
なんせ、電源不要ですから超エコな電気製品でした。
このラジオでは主に歌謡曲を聴いていて、春日八郎、島倉千代子フランク永井藤島桓夫三橋美智也なんかが毎日かかっていたので、覚えた曲を学校でよく歌っていました。
三橋美智也の怪傑ハリマオの主題歌は大好きで、今でも私のカラオケ持ち歌の筆頭です。
ラジオを聴いていると、もちろん洋楽番組も聴く機会が増えました。
意味も解らないうえ、自分では歌えない英語でしたが、歌謡曲とは全く違う明るくてリズミカルでメロディアスな曲にだんだん魅せられていったのです。
パット・ブーンポール・アンカニール・セダカ、トーケンズ、エルビス・プレスリープラターズなんかは大好きで、毎晩聴いていました。
謡曲ではいまひとつ似合わなかったウクレレ伴奏が、ニール・セダカのカレンダーガールの伴奏にはぴったりだったし、やがて日本の歌手やダニー飯田とパラキンのような英語の曲を日本語で歌うグループが出てきたので、マネしてウクレレ弾きながら歌うチャンスが増えてきたのでした。
しかし、24時間手放すことなく毎日聴いていたゲルマニュウムラジオは中学生になる前に壊れてしまいました。
1になったばかりの頃、小学校が同じだったKくんと同級となりましたが、彼が校舎の屋上で柵にもたれて何かこっそりやっているのです。
ああ~!お前、タバコ吸ってるのか!先生に言いつけるぞ!って言ったら、
「ちょっと待てよ、ラジオ聴いてるだけだよ」と言うのです。
だって両切りピースの濃紺のたばこの箱持ってるじゃん!と返すと、「中身は鉱石ラジオなんだよ」とのことでした。
鉱石ラジオ?そう、ゲルマニュウムラジオも鉱石ラジオの一つで、ほとんど同義語です。
Kくんの親父さんは電気技師で、自宅には抵抗やコンデンサー、真空管などが置いてあり、Kくんは「模型とラジオ」という雑誌を定期購読していました。
Kくんは、完成品のラジオを買うのではなく、配線図を見ながらパーツを組み立てて、ゲルマニュウムラジオを手造りしていたのです。
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両切りピースのたばこの箱は、そのケースだったのです。
中には、ハンダ付けされた抵抗やコンデンサーやコイルなどが脱脂綿のクッションに包まれていました。
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ショックでした。カッコいい~!と思いました。
私が全く知らないことを当たり前のようにできるKくんを尊敬した瞬間でした。
この縁で、Kくんは私の科学の教師となり、回路図の意味や、抵抗値の直列と並列の計算などを教えてもらいながら自作したゲルマニュウムラジオでコニー・フランシスフォー・シーズンズなど立て続けに聴きまくりました。
その後、真空管で無線機などを作ってお互い交信しあうようにまでになりました。
Kくんを、私の恩人と思うのは、出来合いのモノを買うのではなく、自分で作るという「オリジナリティの実践」を小学生のころからやっていて、私に良い影響を与えてくれたからなのです。
彼は、音楽そのものは私ほど好きではなく、ましてギター演奏など興味を示さなかったのですが、得意分野の電気機械の仕組みや中身のパーツなどの基礎知識を私に教えてくれました。
その数年後の私が高校生の頃に、Kくんの家にあったオープンテープレコーダーで、初めてのサウンド・オン・サウンドによる一人2重奏を録音しました。
人様に聴かせられるレベルの最初の曲は、フォーククルセイダーズ帰って来たヨッパライで、サウンド・オン・サウンド2回繰り返してつくった一人4重奏での録音でした。
私たち多重録音ユニットMadKnight & his staffsの音楽制作のきっかけとなった経験です。
まだ、オリジナル曲を作曲するほどは進化していないころの時代でした。
昨年末、Kくんと久しぶりに電話で話す機会がありましたが、彼もこのブログを見てくれているとのことですので、この場を借りてあらためてお礼したいと思います。
青春の1時期に、楽しい想い出とともに、当時の私に新しい知識を与えてくれてありがとう。