愛娘犬ロンドが逝ってから丸一年経ちました
去年の今日の午後3時頃、私たち老夫婦が見守る中で、愛娘犬ロンドは16歳10ヶ月の生涯を閉じました。
生後4ヶ月足らずでウチに来て、16年半の長い期間、私たちの家族でした。
さすがに今はもう涙は出ませんが、ロンドが逝ってしまった時は何度も何度も涙が出てきました。
あ、いけない!キー入力していたら久し振りにまた涙が出てきてしまいました。
あの時、命って、家族って、ただそこに存在してくれているだけでいいんだ、ということを実感したことを思い出します。
ロンドが5歳から10歳のころは、まるで3歳児と話している錯覚を起こすほど意思の疎通ができていました。
ロンドが7歳半ですっかり落ち着いた年齢の時の写真が気に入っていたので、2006年の年賀状に使いました。
ロンドが11歳の時の、居間でリラックスしているときの横顔です。
人間で言えばお婆ちゃんですが、美人です。
亡くなる2ヶ月前は立つことも歩くこともできなくなり、女房が手で直接蒸かしたさつま芋やスープで味付けした食パンの耳などを食べさせていました。
まだこの頃は、食欲もあったのです。
食べたあと、少しもぞもぞ起きていましたが、ほとんどこんな具合に寝ていました。
目覚めているとき、自分は歩いているつもりなのでしょう。
横たわった状態のままで四足歩行の動作をするので、肩、腰、膝など床にこすれるところが床ずれとなって血がにじんだり、ひどい時は骨がむき出しになったこともありました。
最後の日の朝、女房がいつものように蒸かしたさつま芋をロンドの口元に持って行ったのですが、その時初めて食べなかったのです。
覚悟する時が来たと思いました。
そしてその日の午後、2013年11月6日の午後3時過ぎ、私たち夫婦の見守る中で、ロンドは大きくゆっくり深呼吸を2~3回してから、動かなくなりました。
ロンドの骨は庭の花壇に埋めてあげました。
これは、女房が昔、アートクレイにはまっていた時に女房が作ったロンドのネックレスです。
今でも仏壇においています。
私は日中は出張など仕事で不在がちでしたから、週末に思いつきで可愛がっていただけでしたが、子供たちが独立して家を出てからは、ロンドと女房は24時間ずっと一緒にいたのです。
ロンドを失った悲しみは、私なんかよりも女房の方が数倍、いや数十倍大きかったと思います。
私たちは、「ロンドを飼ってやった」「ロンドと遊んでやった」のではなく、一緒に生きてくれて、遊んでもらったのです。