老・四弦奏者のブログ

アラ古希のローテクMusicianのブログです

続・森の小径のウクレレコード

学生の頃、仲間との麻雀の合間の休憩時間によくギターを弾きました。
ある時、童謡の「ひなまつり」を弾きながら歌ったときがありました。
正式の童謡名は「うれしいひなまつり」なのですが、私はふざけて、最後の歌詞を「今日は悲しいひなまつり」と歌ってみせたのです。
その後すぐに、今度はキーをオリジナルの短調から長調に変えて、正式歌詞の「今日はうれしいひなまつり」と歌い直しました。それもアップテンポでね。
「この歌詞ならこのメジャーコードで歌わなければうれしいひなまつりに聴こえないだろ!?」と言って、みんなの賛同を得たことがありました。
そうです。日本の昔の童謡は、内容が悲しくないのに短調の音階でのメロディなので、歌詞の意味が分からないと「悲しい曲」に聴こえてしまうのです。
でも、これってやり過ぎた編曲ですよね。
オリジナルの作曲家の仕事を無視した失礼な行為ですよね。
とは言え、「ひなまつり」作曲当時にはアンサンブルのための楽譜などはなかったはずだし、単に歌詞とメロディだけの楽譜しか見たことがありません。
従って、既存のメロディを元に「ボイシング」して肉付け作業をして譜面化し、後世になってからアンサンブル用に楽器ごとの譜面割り振りをすることになります。
このアレンジが公に広まると、それがリファレンスになってますます原曲(作曲者の意図)からずれていくのです。
それは、作曲者の許可があれば何も問題ありませんが、やはりオリジナルは大切にしたいと思うのです。

そろそろ本題に移りましょう。
ここでもう一度「森の小径=もりのこみち」のオリジナルを聴いて、メロディだけではなくベースラインとギターコードをご確認ください。
下の楽譜は、日本ウクレレ教会の教会歌としてインターネットにアップされている「森の小径」です。そもそもキーが違っています。
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オリジナルキーはF=ヘ長調ですがこの楽譜はC=ハ長調です。
そして、付記されているギターコードが転調されたとしても明らかにオリジナルのコード進行と違っているのです。
下の譜面は、私がベースラインから聴き取ったオリジナルのコード進行FからCに転調し、修正したコードを赤い色で付記した楽譜です。
イメージ 2
他人のオリジナル曲を演奏する場合、装飾音としてのコーラスやオブリガードなどボイシング全てをアレンジするためには、まず基本的にはベース音を手掛かりにコードを探し出す作業が必要です。
この赤文字添削の譜面は、ベースが弾く音やアルペジオ風に弾くギターフレーズから耳コピした結果、正しいと思うコードを付記したものであることをご理解ください。
この譜面の12小節目のA7などはミスではないかと思うほどの変な選択です。
この赤文字で修正する前の譜面でベースラインを組み立ててアンサンブル演奏してみると、オリジナルとあまりにかけ離れているのが分かります。

別の見方をしてみたのですが、これは私の仮説ですが、もしかしたら「森の小径」の作曲者である灰田有紀彦さんはあまり深く考えずにメロディだけを作ったのかもしれません。
だから、レコードでのコード進行と、私のウクレレの大先輩が昔に灰田有紀彦さんから直接聞いたコード進行が違うのもうなづけます。
そして、日本ウクレレ教会教の会歌としてインターネットにアップされている「森の小径」の楽譜が、オリジナルキーのFではなくCになっていて、なおかつコード進行も変更されて、それでも譜面右上に作詞:佐伯孝夫、作曲:灰田有紀彦の名が入っているのも納得するしかないのかな・・と思っています。
灰田有紀彦さんがまだ生きていたら怒らないのかな?関係者は抗議しないのかな?と思ってしまいます。

仮にこんな編曲が許されたとしても、オリジナル曲を知っている私は嫌なのです。
クラシック音楽は、楽譜が全く同じでも演奏表現で違いを感じさせます。
でも、75年前のいわゆる「流行歌」である「森の小径」はここまでオリジナルを無視してアレンジされたものが公になっていることが許されるのでしょうか?
もはや、歌詞だけは同じでも似て非なる別の曲ですよ?!
私が潔癖すぎるのでしょうか