旧友たちの早過ぎる他界
先週土曜に若い男性から電話がありました。
父、Eが亡くなり、来週早々に通夜と告別式を執り行うことになりましたので、私にはぜひ参列して欲しいというのです。
私は一瞬、意味が理解できませんでした。
誕生日直前の、満62歳でした。
初めは動転していた私でしたが、だんだん冷静になるにつれ事実を理解できるようになりました。
そんな大事なことを、奥さんからでもご長男からでもなく、次男の方から連絡されたのには、いろいろご事情があったのでしょう。
しかも、倒れたのは2年前で、その時以来意識がないまま横浜の病院に入院していたとのことです。
IEくんは、私が女房と出会うきっかけを作ったくれた、いわば「恩人」でもある人物です。
2014年の1年間はまだ終わっていませんが、現在までに私の旧友が3人逝ってしまいました。
しかも、3人のうち二人は私より年下なのですよ!
先月来た喪中葉書には、私が札幌転勤時代の1年年下だったIKくんが、今年4月に肝臓癌でなくなったと書いてありました。
奥さんの話では、1年半の闘病の末だったそうです。
右端はHTくんで、私とは高校大学と同じで私の自宅の近くに住んでいて家族づきあいをしていましたが、3年10ヶ月前に膀胱がんのため61歳で逝ってしまいました。
つまり、現在生きているのはこの中で私だけなのです。
IEくんはこのとき、静岡から横浜の奥さんの実家に行く途中に寄ってくれたのでした。
9日の告別式のあと、私はこの時のスナップを数枚ご家族にお渡ししました。
ご家族の皆さんは、初めて見る写真だと言って喜んでくれました。
40年以上前、短い期間ではあったけど、とても密度の濃い青春時代を共に過ごした同輩・後輩たちの早過ぎる死は、昔話をお互いの実体験として等身大で笑いながら話し合える仲間を永久に失ったということなのです。
旧友たちの早過ぎる死に、悲しいとか残念とか以上に、自分が一人ぼっちに残されていく孤独感に、恐怖すら感じざるを得ません。
遺族を代表してご挨拶されたご長男が、「話し好きで音楽好きで楽しい父だったから、明るく送ってあげたいと思います。」とお話しいただいたことで、少しばかり救われる思いでした。
雲が少しかかっていましたが、かろうじて山頂が見えました。