軽自動車に乗換えについて考える
昨日、5年振りの免許更新で、2時間の一般運転者講習を受けた後に新しい免許証を受取りました。
次回は5年後で、私は70歳になります。
70歳以降は、3年ごとの更新手続きが必要ですが、その前に70歳の時の免許更新の6ヶ月以内に「高齢者講習」を受けなければなりません。
そうか、いよいよ「老人」とか「高齢者」という言葉が他人事ではないということを実感せざるを得ない時期が来たようです。
そろそろサイズダウンした車に替えようか・・・
でも、軽自動車までサイズダウンする必要あるかなぁ・・・
そんな中、なんとなく昔乗っていた車を思い出しながら独り言を言いたくなりました。
考えてみれば、自分のクルマ歴はそんなに派手ではなく、人様に自慢するものなどないのですが、あえて言えば私は「マイノリティ派」に属していると思います。
乗り継いだ車の数はそれほど多くはありません。
1、20歳のころ、中古でポンコツを絵にかいたようなスバル360に乗っていました。
リアエンジン・リアドライヴなので、ポルシェと同じだ!なんてカッコつけて言ってみても鼻であしらわれるだけですがね・・
凄いと思うのは前軸のサスペンションで、当時では画期的なトーションバーでした。
よくあのスペースで前輪のサスペンションを設計できたものだと感心します。
2ドアクーペで、ウインカーは左右とも手動式で赤いプレートを出したり引っこめたりする方式で、左右のドアは今の車とは逆の後ろヒンジでしたから、半ドアで走っていると向かい風を受けてバッカーンと開いてしまうこともたびたびありました。
トランクルーム?ああ、あるにはありましたよ。
ボンネット開けるとハンドバッグが1個入るくらいのスペースですがね。
オートバイと同じ2気筒エンジンで、燃料はレギュラーガソリンにエンジンオイルを混入したものでした。
トランスミッションは前進3段・後進1段のマニュアル式でした。
1年乗った後、壊れてしまいました。
2、21歳の時、親父から真っ赤なカローラクーペ1200Super Deluxeを買ってもらいました。 それまではポンコツスバルで親父を会社まで送って行ったり、都心で麻雀して終電がなくなった親父を迎えに行ったりして「外堀を埋めていた」のが功を奏して、免許を持たない親父が「車がないと俺が不便だから買ってやる」といって買ってもらったわけです。
でも、そのころは当時の学生バンドが自然消滅する頃で、楽器運搬のために使うことはありませんでした。カローラクーペは1200ccでしたが、今の軽自動車の660ccに対し、動力性能はもちろん乗り心地など全てにおいて劣っていました。
運転していて楽しかったことはただ一つだけ、フロントエンジン・リアドライヴゆえのドライヴフィーリングです。
砂利道でスピンターンなんかカッコつけてやっていたのを思い出します。
3、結婚して札幌に転勤する前にカリーナクーペ1600に乗換えました。
当時のスポーツタイプに標準装備の「ツインキャブ」ではないし、できる限りケチったので、クーラー(当時エアコンは超高級車しかなかった)もカーステレオも付いていませんでした。
私たち夫婦の新婚旅行は、このカリーナクーペで道東・道北を1週間かけてまわった行き当たりばったりの貧乏ドライヴ旅行でした。
また、真冬のドライヴでは氷点下で吹雪くなか、いくらフロントガラスにヒーターの熱風をかけても、水蒸気が凍ることでどんどん狭くなる視界を右手でこすりながら必死で定山渓から洞爺湖まで中山峠を走りました。
当時はシートベルトなんかあってもしないのが当たり前の時代でしたから、良く生きて帰れたものだと想い出すと恐ろしくなります。
4、転勤先の札幌から戻って東京支社勤務になり、現在の神奈川県に住むことになりました。
その後故あって、自分が意図しない車に乗換えることになりました。
2プラグZエンジンのブルーバード1800です。
こいつは私の車人生でただ一つの「はずれ」でした。
色は私も女房も嫌いな白だったこともあり、愛着を持つことはありませんでした。
しかし、ここで少し学んだことがあります。
相手を嫌うと、相手も自分を嫌う・・と言うのは、人間だけではなく、機械も同じである、ということです。
私がこの車を好きではなかった分だけ、車も私のことを嫌いだったのでしょう。
それ以来、車もギターも、音響機器類も、手放す時や壊れて廃棄する時には「今まで世話になりました、ありがとうね」といって抱きしめることにしています。
5、35歳の時、仕事の関係で、当時のお客様であるいすゞ自動車に乗らなければならなくなりました。
そこで、人生初めての「ディーゼルエンジン車」で「フロントエンジン・フロントドライヴ」のアスカセダン2200ccの中古に乗ることになりました。
「フロントエンジン・フロントドライヴ」=FF車は初めてだったので、今ではありえないキックステアリングにはまいったものです。
それに、前前軸重が後後軸の2倍以上あって重心が前に偏っているので、雨の日の下りのカーブは恐怖でした。
コモンレールなんてまだない頃でしたから、見た目はボルドーレッド色のシックなセダンであるにもかかわらず、エンジン音はガラガラうるさいし、マフラーからは真っ黒な黒煙が大量に出て、自宅駐車場はまるでバスの停留所みたいな臭いがしました。
何と言っても燃費が13km/L(マニュアル車だからです)という経済的なことがメリットでした。
6、このアスカセダン2200ccの故障が多くなったので、次を探さなくてはならなくなりました。
7、この「クロスカントリータイプ・4WD車」3台との付合い、に関しては過去のブログ2013年6月11日投稿の「私の4WD履歴」につながります。
同じことを繰り返し書くのも能がないので、ご興味ある方は読んでいただきたくお願いします。
8、「私の4WD履歴」のなかで異色な4WDは、ミラ・ジーノ Mini Lite 4WD Spec.で、大昔の中古スバル360以来、久々の軽自動車でした。
当時私は営業管理職で、関東近郊を営業活動する傍ら、内勤での管理業務もありました。
このミラ・ジーノは可愛いし、実用上特に不満もなく、パワー不足であることはあまり欠点には思えない存在でした。
ただ、平均燃費が12km/Lとあまり良く無い上、最低地上高が低いのと、車内スペースが狭いので我が家の「メインカー」にはなれなかったのです。
9、そのミラ・ジーノは、仕事を辞めてからはただの金食い虫になってしまい、支出生活のスリム化に伴い売却してしまいました。
10、そして、今この時期です。
そして、たぶん来年は来るであろう「消費税10%」の時代にそなえて、毎年少しずつ減らされる年金額も念頭に入れながら、我が家のメインカーを軽自動車にすることを検討する時期が来たと思い始めました。
まずは、走っていて「ほかの車に対して劣等感を感じない車」「所有していてお洒落感を醸し出す車」「車体色の選択肢が多い車」が、まずイメージとしての条件です。
それに加えて、ハードとしての条件は積雪対策として「4WDであること」「最低地上高が170mm以上であること」そして「車内スペースが広いこと」、そしてこれは必須条件ではなく希望条件ですが、運転中のアイポイントが高くて、ついでに他の車から見下されない「車高が高い車」ということです。
これから導き出される軽自動車は、現時点ではSUZUKI HUSTLERとJIMNY
しかないんですよね~
で、ここでいつも行き詰るのが「スペアタイヤレス」問題です。
今の新車たちは軽自動車のみならず普通自動車のほとんどすべてがスペアタイヤレスです。
代わりにタイヤパンク修理キットで済ませてしまおうという魂胆です。
メーカーはいったい何考えてるんだか、メーカーとしての良心を疑わざるを得ません。
常備しているパンク修理キットで、外出先で直せるパンクなんてほんのわずかで、過半数はタイヤ交換のリスクを抱えたまま公道を走らされているなんて論外です。
私が購入を検討したF社のXVは北米で人気があり、国外向けにはスペアタイヤつきで販売されているのですが、価格ダウンの目的で国内向けには付けない(オプションで取り付けるスペースすらない)などの不埒な販売姿勢をとっています。
だから、結局は燃費が悪いことと車内収納性が貧弱なこと以外は、4WDだし、テンパータイヤ装備で乗り心地も良く車高が高いので、それなりに満足しているVW TIGUAN 4Motion に乗り続けているのが我が家の現状です。
実は、リタイアして1年過ぎたころからこの堂々巡りの思いを繰返しているのです。
私が私自身の高齢化に対処して軽自動車に乗換えることは今後も視野に入れていきますし、いつかは不満点ですら何らかの妥協をして結論を出さざるを得ない時期が来るでしょう。
それでも、外出先でタイヤ交換の必要がある場合にJAFが来ても肝心のスペアタイヤがないと話になりません。
スペアタイヤは「保険」です。
事故を全く起こさずに、掛捨てになってしまったしてもと保険料は決して無駄ではないはずです。
もちろんスペアタイヤ=保険は、使わないに越したことはありません。
使わないで済んだのは「掛捨てして損をした」のではなく、むしろラッキーだと思うべきで、「安心」を買ったということなのです。
まだ70代まで時間があるので、その期間で車を取り巻くいろいろな環境が良い方向に何らかの変化を遂げるでしょう。
結論としては、それまでは今のガソリン大食いTIGUANに乗り続けるか、途中で妥協するかしばらく悩んでみることにしました。
そもそも、TIGUANだって妥協して買ったのですからね。